私は10年前、保険会社の研修生として代理店を目指して営業活動をしていました。
5年間の研修期間中に基準をクリアできなければ容赦なくクビになる厳しい世界。
5年後生存率は1~2割程度。
ほとんど辞めていく世界。
それで、その中で優秀な人間は周囲から持て囃され優遇される。
できなければ冷遇される。
営業の世界は多かれ少なかれそんなことはあるのだが、それが顕著な業界だと言えます。
待遇もそうですが、収入に雲泥の差が出る。
私はその中でもギリギリ基準をクリアして独立できる権利を得ました。
しかし、結果的には代理店に入って従業員として保険営業を続ける道を選びました。
辞めていった人の中にも保険代理店に就職したり、もともと代理店の後継者として研修生として入ってきた人もいたので、ドロップした人でも結構同じ仕事をやっています。
途中でドロップしていった人で保険営業をしている人を見ていると、辞めた時よりもかなりスキルがアップしていることに気づきます。
具体的な数字を比べることはできませんが、私なんかは既に抜かれたのではないかと思うほどです。
保険会社が設定した基準をクリアできなかったとしても、時間をかければ殆どの人は一定のレベルにまで達することができるのだなあと感じています。
また、環境が変われば人は変わることができるということでしょう。
保険会社が設定した5年という期間と独立基準という数字。
この範囲には該当しなかったけれど、そこから外れた時でもずっと保険営業を続けているとスキルも収入も上がっていきます。
他人が決めた小さな枠の中で実力を発揮できなかったがために自信を無くす必要は全くありません。
生保営業は違うのかもしれないけれど、少なくとも損保営業は期間が長ければ長いほどスキルの差がなくなると思います。
ということは、人間の能力にはそれほど差がないのです。
できないからと自信を無くす必要もないし、逆に自分ができるからと言って他人を馬鹿にすることは本当に意味がない。
人は等しく優秀です。
そして、最近同時に思うのが「人は等しく馬鹿」だということです。
「こんなに優秀な人が」と思う人がとんでもない失言やミスをしたりします。
飲み会で失態をさらします。
どんなに賢そうな人でも、長く付き合っているとそんな部分を見ることがあります。
どんなに取り繕っても、人はしっかりしているようで、実はうっかりしています。
どんな優秀な人でも馬鹿だと言えます。
人は優秀であり、同時に馬鹿。
そう思うと可愛くなります。
そして、他人を愛することができるようになります。
何か他人にできないことを自分ができたとしても、決して他人を馬鹿にするためにできるようになったわけでない。
その能力は他人を助けるために使いたいものですね。